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いつ死ぬかわからないし、私はエロくない。

いつ死ぬかわからない。

その深刻さ具合はさておき、そう思うことはよくあることだ。

 

いつ死ぬかわからない。

まだ死にたくないような気もするが 

それはある程度仕方のないことであるし

死ねば終わりで、そこは無で、後悔することもなかろう

 

しかし、家族のことを思うと

確実に、胸が苦しい。

死んではならぬと思う。

 

さて、ここに

『神は局部に宿る』都築響一presents エロトピア・ジャパン

の資料がある。

 

上記展覧会で500円で購入したものだ。

大学の帰りに一人、渋谷のアツコ・バルーで開催されていたこの展覧会に行った。

 

そこにはラブホテル、秘宝館、イメクラ等に関する資料で溢れていた。

整然と壁に貼られたラブホテルの写真の下には、ホテル名と料金設定が書かれ

生真面目な生物学者の研究のようだ。知らないけど。

 

私は感動していた。

本当に。マジで。

だからこの500円の資料を買った。

 

男の子が下ネタを話す。

女の子は、それにノるか、恥じらうか、気付かないふりをするかという選択をせまられる。

どの選択をするにせよ、何かしらの戦略的思考が隠れていると私は思う。

 

女が下ネタにノる。

それは「私はそういう話もできる女」と示すためだ。

男のそういうの理解してるし、動じないよ。

空気よんで、話に乗れる、キャパシティあるよ。

 

ただ、しばしば過剰適応的になることがある。

もう自分で話し広げちゃうみたいな。

別に下ネタ、嫌いじゃないけどそんな話すほど好きじゃないのに。

 

とにかく、私はその延長上でこの展覧会に行った。

SNSにも載せた。

だって「私はそういう話もできる女」だから。

もう自分で発信していくよ。

 

しかし、この展覧会(というか都築響一さん)が

あえてエロをやることの意義には

私のような女の自己承認欲求ではない

もっと純粋なエロへの欲求・探求があり

そこに私は感動と、ある種の心地よさを感じていた。

 

私はエロには興味がある。

自己承認欲求によるエロへの対処で隠されていたが

私はエロには興味があると、この展覧会ではっきりわかったのだ。

ある種の心地よさとはカタルシスだった。

 

でも別に、エロ本やエロ動画を人より見るわけじゃない。

いわゆる、エロい、ではない。本当に。多分。

 

ラブホテル、秘宝館、イメクラ

ただの肉欲じゃない、このエロ、この欲求の神秘。

何言ってるかわからない。

 

とにかく、何と言っても、日本人のエロへの想像力。

春画展があの大英博物館で行われるほど

日本のエロは文化的・芸術的に世界が注目しているのだ。

一応文化を学んでいる身として、興味をもつのも疑問ではない。

 

さて、いつ死ぬかわからない。

私が今死んだらどうだろう。

エロトピア・ジャパン

と書かれたこの資料を脇に置いて。

 

べ、別に、私はエロいわけではなくて〜

という言い訳をいちいちしたいわけではない。

そういった文化に理解ある人も多く、今更弁明することもない。ということもある。

万が一、私がエロいということになってもいい。

そもそもエロいことにマイナスのイメージは基本的に持っていない。

自己認識との乖離があるのは心地悪いが、まあ人がそう思うのならそうかもしれない。気にしない。死ぬし。

 

ただ、父親、母親。

私は、文化を学ぶものとして興味があるだけで

これはその、そのための資料で、えっと

私普段別にそういうの、全然、興味ないんだけど

えっ。えっと。あれ。

 

パパ、ママの理想的な娘でいたい。

私は絶対死なない。